小田島先輩って友達いないの?

小田島先輩から見たなぎさと、なぎさから見た小田島先輩
には、意味がある。
マドンナとなぎさの違いを描くんじゃなくて、お互いがどう思っているかの違いを描いてるんじゃないだろうか
小田島先輩は孤独なのか?
いろいろなスポーツの助っ人を頼まれたりして、かなり人望があるんじゃないんだろうか?と書いて気づいた。本当の友人はいないのかも。マドンナはマドンナをいつも演じていなければいけなくて、ようは、いつも仮面をかぶっているわけだ。マドンナを慕う後輩たちがいたとしても、それはマドンナを演じているマドンナであって、小田島先輩じゃない。いつもオープンななぎさとはえらい違いじゃないか。
 いつもありのままのなぎさだから、失敗もするし、ドジもする。だからこそ人間なんじゃないか。そんな当たり前のことに気づかされる。
 

も一回見ます。ちゃんと書けるのはそいから
続く
そろそろ挨拶のねたがなくなってきた
ポルンは嫌い